2009年度活動スケジュール







↑TEZZO by Tetsuya Ota



↑太田哲也KEEP ON RACING


TEZZO RACERS CLUBレポート

2007年12月15日アルファロメオチャレンジ統一戦

会員No.106 廣畑 実

車種 アルファGT

参加内容 走行会 アルファロメオチャレンジ



プロローグ

いったいサーキットはどこにあるんだろうと考えながら運転していた僕の目の前に、突如として現れた巨大な建造物。富士スピードウェイだった。あまりに巨大なために、最初はそれがサーキットだとは思わなかったぐらいだ。

12月15日。今日は、アルファロメオチャレンジの統一戦。昨年、レースという「夢の異次元空間」にヨチヨチ歩きの状態で迷い込んだ僕が、今、全国統一戦の舞台、富士スピードウェイに向かっている。今年F1が走ったあのサーキットを、僕と僕の愛車、GT2.0が走る。想像しただけで胸躍る1日となる予感がした。

午前9時過ぎ。チームメイトの中村弥太郎さんと約束していた集合時間に少し遅れて、僕達にあてがわれた16番パドックへ向かう。でかい!コンクリートブロックを積み重ねた安普請の仙台サーキットとは全然違う、3階建の建物で、1階がパドック、2階以上はミーティングルーム等の部屋になっており、1階のパドックは、一つのパドックに4〜5台の車が余裕で入れられる大きさだった。パドック内には、トイレ、オフィスがあり、コースや順序が映るモニターも備え付けられていた。やっぱり富士スピードウェイは違うな〜。

既に到着していた稲垣メカに挨拶をし、いつものテープ張りにとりかかる。中村弥太郎さんは既に到着しており、稲垣メカによる入念な整備が行われていた。

程なくドライバーズ・ミーティングが始まり、プラクティス及び予選については、パドックから直接ピットロードに車を出す方式であると伝えられる。パドックから直接ピットロード!?かっこいい〜!仙台サーキットで、パドックから一旦駐車場に戻り、専用の入り口からピットロードに入る方式に慣れていた僕には、「本式」のピットロード入りがまるで自分がF1ドライバーになったかのように思えて、かっこよくて仕方なかった。また、気温が低めのため、いつものグリッドスタートではなく、ローリングスタートになったとのこと。最終コーナーを回って2列に並びスタートラインを横切るまでは時速80キロを保って追い越し禁止。スタートラインを横切ったら、加速して良い、ということだった。え〜、むつかし〜。できるかな〜。

ドライバーズ・ミーティングが終わる頃、太田さんと広報隠岐さんが到着していた。太田さんがニコニコした顔で僕と中村弥太郎さんと固い握手。これから来る熱い日を予感させた。


走行準備

パドック内のオフィスに集まり、チーム・ミーティング。太田さんがコース図にラインを書きながら説明する。太田さんが言う。「ここのコースは、幅が広いので、コース幅をいっぱいに使っていいし、直線が長いのでコーナー立ち上がりの加速重視。ヘアピンカーブの多い筑波サーキットの走行方法は忘れてしまっていい。筑波サーキットでは、クリッピングポイントまでブレーキを踏み続けるが、加速重視のここでは、早めにアクセルを踏む。つまり、クリッピングポイントに来たときにはもう既にアクセルを踏んでいるというつもりで、ブレーキを踏む時間を短くしよう。」

「筑波サーキットの走行方法は忘れてしまっていい」という言葉がとても印象に残った。そうか。富士は違うんだ。僕は、また、新しいサーキットにいるんだ。

太田さんの手書きのライン図をなるべく正確に書き写し、頭に入れようと必死になった。もう、時間がない!でも、覚えられない!

プラクティス
すぐにプラクティスの時間になった。中村弥太郎さんの赤い156がパドックを出てピットロードに向かう。僕のGTもそれに続く。ピットロードに並ぶアルファロメオ。そして、スタートした。いよいよ、生まれて始めてのあこがれの富士スピードウェイを走行する!

最初の一周は、カルガモ走行ならぬ、弥太ガモ走行。本日が富士スピードウェイ2回目の中村弥太郎さんが先導して僕にラインを見せてくれることになった。1周一緒に回った後は自力で走行。途端に幅広いサーキットのどこを走ればいいかわからなくなった。特に、100Rの高速コーナー中の走るべきラインと、シケイン後。シケイン後に至っては、よし、最終コーナーだ、と思ったらまだカーブがあって何度も慌てた。そして何とか最終コーナーを周り、グランドスタンド前のホームストレート。アクセルを床まで踏む。スピードメーターがぐんぐん上がる。それでも190キロが限界だった。190キロ近くまで引っ張ると、第一コーナー直前の距離表示板が200メートルを示していた。アクセルを踏む。ぐんぐんコーナーが迫る。後輪が左右に細かく踊るのを感じた。この状態で1コーナーに飛び込むの?スピン?恐い!!怖気づいてしまった。ついつい、1コーナーが遅くなる。
そんな思いで何周しただろうか。25分のプラクティスがとても長く感じた。稲垣メカがラップタイムをボードで示してくれる2分29秒、2分30秒。う〜ん、ちっとも速くならない。

チェッカーフラッグが振られ、プラクティスが終了した。ピットロードへ向かい、出口から駐車場を経由してパドックへ戻る。

頭はパンパン、混乱しまくっていた。太田さん直伝のコース図とにらめっこ。各々のコーナーのビジュアルを反すうする。太田さんからアドバイス。「100Rは、コーナーの外側を走ることではらむことなく全開走行できる。100Rの途中でアクセル操作かブレーキで右に切り込み、シケイン出口では道幅をもっと広く使ってはらんでいい。」中村弥太郎さんにも、100Rの走り方を相談する。

リザルトが出ていた。2分28秒.286。そんなもんか・・・。

予選

予選が開始された。再び、パドックから直接ピットロードへと向かう。課題は山ほどあるが、まずは、100Rを克服したかった。100R全開走行に挑戦だ!

すぐに100Rに差し掛かった。よし、全開だ!アクセルを床まで踏みしめる。コーナーの一番左側をトレースする。おや〜、だめだ、どんどん外側へはらんで行く!「ズドドドドドッ!!」車がコースアウトした。太田さんから、走る前に「コースアウトしたら、すぐにコースへ戻ろうとハンドルを切ると、悪くすると転倒する。自然に、ゆっくり戻ること。」と言われていたので、ゆっくり、ゆっくり戻った。ここは富士スピードウェイ。WRCじゃないんだから、オフロード走行は必要ない。

三週目の周回で100Rがようやく全開走行でき、中村弥太郎さんに教えてもらった目印を合図にインへと切れ込む。やった!!ようやくできた!よおし、この調子だ!と思った次の瞬間、赤いフラッグが振られていた。えっ?レース中止、ピットに戻れ?えっ?折角調子が出てきたのに〜?!

ピット前に戻ったら、太田さんから事故があったことを聞いた。「グシャっとつぶれてたよ。」後で聞くと、スピンしてコース上で後ろ向きに止まった車に後続車が突っ込んだらしい。正面衝突でダメージはかなり大きく、回収にも時間がかかったということだった。幸い、運転手は二人とも無事だったそうで、不幸中の幸いだ。だが、そういう話を聞いてしまうと、やっぱりビビる。レースに出ている以上、明日は我が身だ。

予選は中止となった。ギアをニュートラルに入れ、みんなで車を押してもらってバックしてパドックに入る。かっこいい〜。テレビで見たF1と一緒だ。

予選の結果が発表された。結果は、2分29秒619。総合40位。クラス7位。悔しくはあるが、初めてのコースだし、まあいいか。それにしても、全く同じ車であるはずのGT2.0が他に3台も参加しているのに、何で彼らはあんなに速いんだ?



決勝


決勝は、ピットロードへの入り口の駐車場にグリッド順に並び、整列してピットロードへと入っていく。ペースカーを先頭に、各コーナーを回っていく。最終コーナー立ち上がりで、ペースカーはピットロードへ吸い込まれていき(40位では、ピットロードへペースカーが入っていくことは後ろ過ぎて見えない。ここは、想像で書いた。)、ホームストレートは80キロ。前車に続いてアクセルを踏んで80キロまでスピードが上がったところでアクセルを調節・・・・あら?前の車のペースはどんどん速くなるぞ。スピードメーターは120キロを示す。おいおい。80キロ過ぎたらペナルティーだって言ってたじゃないか。アクセルをゆるめる。でも、それだと余りに前車との距離があり過ぎる。どうすんだよ〜!!と思っているうちにスタートラインを横切った。全開!!

半周もしないうちに、後にいた145に抜かれた。続いて、スパイダーにも抜かれた。その後にいて様子を伺うGT2.0。TEZZO RACERS CLUBに所属しているが、今回は、別チームから参戦の市川さんだ。抜かれないように全力で走る。でも、あせればあせるほどうまくいかない。おっとっと。コースアウト寸前で縁石に乗り上げてなんとかしのぐが、こんなこと繰り返していると車にダメージあるのかなあ。

4週目ぐらいだろうか。ふと気が付くと、目の前には誰もいなくなっていた。遠く置いていかれている。市川さんと二人きりでのレースになった。これは益々抜かれたくない。直線で市川さんが真後に付ける。スリップストリームか?市川さんが右脇に出る。1コーナーが迫る。市川さんはまだ後ろだ。そんな周回が2周続いた。そして3周目。ついに、1コーナー直前で市川さんの鼻先が僕の車の横に出た。これは譲らないわけにはいかない。僕はアウトに膨らんで市川氏の道を空ける。1コーナー立ち上がりで抜かれた。

今度はこちらが追う立場だ。100Rを立ち上がり、ヘアピンで追いつけるか?!もうちょい!う〜ん、無理だ!ヘアピンを過ぎるとどんどん離される。課題の最終コーナー。いつもここでタイムロスする。益々離される。そして直線。スリップストリームどころか、余りに離されすぎている。ちっとも追いつけない!ふと気が付いた。全開走行でアクセルペダルを踏んでいるとき、床が抜けるんじゃないかと思うぐらい右足に力が入っている。こんなんじゃあ、微妙なアクセルワークなんてできるわけがない。バタバタぎくしゃくした走りになるのは当然だった。

全開のままシケインに近づく。ブレーキ、離して、アクセル!クリッピングポイントが遠ざかる。「あそこ、あそこ」とわかっているのに、車はクリッピングポイントから相当遠いところを通過する。今度は次のコーナーに寄り過ぎていて曲がれない!スピードが落ちる。悪循環だった。シケインは直線的に通過しなければならないのに、シケインのカーブより大きな弧を描いて回っている。これでは速く走れるわけがない。

そして苦手の最終コーナー。今回もクリッピングポイントには付けなかった。そして直線。チェッカーフラッグが見えた。終わった。

総合最下位、クラス最下位。ベストラップは、2分27秒363。初めてのコースとは言え、不本意だった。悔しい・・・。


エピローグ


結果は悔しかったが、矛盾しているけれども、気分は爽快。楽しかった。先週の筑波サーキットで味わった「楽しい」という感覚。1コーナーだけは、恐怖感があったが、それ以外のコーナーは、恐怖感はなく、集中できた。車体のロールをなくしてくれたレイアウトサスキットのおかげだ。

帰り道、太田さん、隠岐さん、中村弥太郎さんと反省会を兼ねて食事に行った。とんかつ屋に入った。昼食を取る暇もなかったのでペコペコだ。太田さんのおすすめで、ソースを使わず塩とからしでたべてみる。おや、肉の味がよくわかる。確かにうまいや。

太田さんが決勝結果を見て言う。「お、廣畑さん、タイムあがってるじゃない。」ま〜確かに上がったは上がったが、たった2秒だ。「いや、2秒上げるのは大変なことだよ。」プロからそう言われる気分はまんざらでもない。悔しかった気持ちが随分癒された。

太田さんからは、車をもう少しいじってみることを提案された。プラグ、ホイール、タイヤ、スタビライザー。やることはたくさんあるのね。

そして、次の会話で、僕がいかにできの悪い生徒であるか、思い知らされた。

僕は言った。「太田さん、筑波サーキットの走り方を忘れるなんてできなかった。ついつい、ブレーキ踏みながらコーナー回っちゃうんですよね。それでお尻の方向変えてる。」今から考えれば、ばかなことを一日トライしていたものだ。直線でブレーキを終わらせ、コーナーでアクセルを踏もうとして、間に合わなくて結局、ブレーキを踏みながらコーナーを回っていた。結果的にはそれで良かったのだが、大変な思い違いだ。太田さんも呆れたに違いない。「廣畑さん、それでいいんだよ。富士は、ブレーキを踏んでいる時間を短くするのであって、ブレーキを踏みながら車の方向を変えることは、富士も筑波も変わらない、現代の車ですべきことなんだよ。」

あっちゃ〜!!「筑波を忘れろ」ばかりが印象に残って、本当に全部忘れていた。なんてこったい。ブレーキを踏みながらコーナーに入っていったのは、僕の足が硬直していたからで、狙ってやったわけではない。あ〜あ、ハズカシイ・・・。コーナーにオーバースピードで飛び込んだのは、直線が長くてブレーキかけても止まり切れなかっただけだ。あ〜あ、自己嫌悪。

とりあえず、今シーズンは終わった。楽しかった。楽しい1年だった。

去年の6月、子供の頃から夢と思っていた自動車レースという異次元世界に、仙台サーキットで初めて入り込んで以来1年半。参加当時は、おたおたするばかりで、サーキットに着いても何をしたらいいのか全くわからなかった僕が、F1も走った富士スピードウェイで、真っ赤なレーシングスーツに身を包み、タイヤから白煙をあげながらコーナーを回っている。3年前に偶然買った太田さんの著書「クラッシュ」に感動を覚えた自分が、その太田さんと知り合い、太田さんの監督の下で、自動車レースに参加している。

アルファロメオを手に入れる以前に、こんな自分を想像できただろうか。いや、アルファロメオに乗り始めた頃でも、自動車レースに自分の来るまで出場するなんてことを想像することさえ、思いつきもしなかった。

40歳を過ぎたいい歳こいた大人がやんちゃな遊びをやっていると思う人もいるだろう。何百万もする安くない車を事故が起こっても保険のおりないレースに使って何かあったらどうするんだ、という向きもあろうし、車はともかく体は大丈夫なのか、と心配する向きもあろう。アルファロメオチャレンジに出場したからと言って、たとえ統一戦に出たからと言って、お金は出て行くばかりで、収入はまったくない。将来僕がプロのレーサーになれる可能性も0%だ。

では、何のためにレースをやるのか。それは、自動車レースが僕の夢だったから。夢はかなってしまうと意外にがっかりしたりもするし、かなった時点で満足することもあるが、この夢は違う。この夢はまだ始まったばかりで、夢の中にいることが楽しくて仕方がない。夢の顛末がどのように終わるか、まったく想像もできないが、この夢は、覚めるまで見続けたいと思う。

もう一つ、僕の仕事は金融に関わることも多く、どちらかと言えば、どちらかと言わなくても、「固い」仕事だ。会社の人が、「仕事でこんな固い人が、アルファロメオに乗っていて、しかもレースやってるなんて、対照的で面白いね。」と言ってくれたのは印象深い。

この冬の間に初めての車検を迎えるので、これを機に、少し車を整備してもらおうかと思っている。車を益々強化しつつ、来年のレースに備えようと思う。次のレースが仙台なのかどうかは未定だが、次のレースでどれぐらいタイムが延びるのか延びないのか、今からとても楽しみだ。

僕の夢はまだ続く。このまま覚めないでいて欲しい。夢の中を楽しんでいるうちは。








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