2009年度活動スケジュール







↑TEZZO by Tetsuya Ota



↑太田哲也KEEP ON RACING


TEZZO RACERS CLUBレポート

11月30日(日)アルファロメオチャレンジ東北シリーズ第3戦 in 菅生

会員No,106 廣畑実
車種 アルファGT2.0

参加内容 走行会&アルファロメオチャレンジAR150-6



寒かった。
ただでさえ寒い冬のサーキットに、朝、雨が降っていた。
11月30日。ここは仙台の菅生サーキット。この日は2008年アルファロメオチャレンジの第三戦かつ最終戦。今回は、僕ら東北シリーズにエントリーしているメンバーだけでなく、関東シリーズにエントリーしている車と混走となる。僕のクラス、MR150-6は、仙台で走る時は、殆どがTezzo Racers Clubのメンバーだけなので、クラブ員同士の競争になる。関東の方々と混走になるということは、関東の同クラスの車と競争できるので、自分が速いのか、遅いのかの尺度が広がる。楽しみだ。ただ、関東の運転は荒くてクラッシュも日常茶飯事と聞いたことがあるので、少し怖かった。

レースを始めて3年。コースアウトこそ何回もしたが、スピンをしたことも、まして、事故に遭ったこともない。それが僕の小さな誇りだった。「攻めてないんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、「クラッシュしないようギリギリのところでコントロールしてるんだ。」と僕は言いたい。たとえクラッシュしたとしても、体さえ元気なら、後で笑い話になるかもしれないが、経済的負担はあるし、精神的なダメージも避けられないだろう。ひょっとしたら、事故に遭った途端、もう、二度とレースには出ない、サーキットは走りたくないと思ってしまうかもしれない。

そんなことでこんな楽しいレースから足が遠のいてしまうのは、とても残念だ。だから、無茶はしない。でも攻める。速く走りたい。できるだけ事故を避けてレースを楽しみたいと思っている。事故を起こしたくてサーキットを走っている人はいないと思うけれど、人より強く事故を起こしたくないと自分に言い聞かせれば、かなりの確率で事故を避けることができるんじゃあないだろうか、と、そんな思いで走っている。

photo菅生サーキットは初めてだった。我が師匠、太田さんは、「スカッとするコースで、僕は好き。」と言っていたが、それだけスピードが出るということだ。事実、いつもの仙台サーキットでは、最高速度は140キロがせいぜいだが、菅生では僕のノーマルに近いGTでも170キロ出てしまうのだった。

練習走行前の準備でバタバタしている合間をぬって、集合がかかり、太田さんに大急ぎでコースを教えてもらう。太田さんがコース図に理想のラインを手書きで描きながら、このコーナーは、このコーナーは、と、一つ一つを説明していってくれる。

そうそう、この解説がいつも役に立つのだ。サーキットを始めて走行した3年前、太田さんの描いた仙台サーキットの理想のラインの図をもらい、一生懸命理解しようとした。今から考えれば、ラインを見てもまったくその意味がわかっていなかったに違いない。確かに、頭でわかっているつもりになっても、どうやったらそのラインをトレースできるのかがわかっていなかった。本当に、そのラインの意味がわかるようになるまでは、たぶん1年、仙台サーキットの経験を3、4回積んでからだったと思う。
菅生サーキットのラインの説明を聞き、後は、練習走行のスタートまで、一生懸命それを覚えようとした。理解しようとした。コース図を横にしたり縦にしたりして、実際にコースを走っている様子をイメージして。

すぐに練習走行の始まりだった。朝から断続的に雨が降って濡れたコースを、暖まっていないタイヤで走行する。雨のコースは経験あるが、気温が4〜5度の状態で走るのは始めてだ。

ツルっ!肝が冷えた。そんなにスピードは出していないのに、後輪が音もなく滑った。いつものコーナーを攻めて車の向きを変えるのに成功した時に感じる「わざと滑らせる」感覚とはまったく違っていて、そんな時に出る「ザッ」という音とも全然違っていて、予想だにしないコーナーの立ち上がり付近で、滑るのだった。

「恐っ!」最初の周回で、3回ぐらいそんなことがあったろうか。ピットに戻って稲垣メカに「どうですか?」って聞かれた時に、「氷の上走ってるかと思いました。」とレポート。その一言に反応して、次の予選出発の際には、稲垣メカが笑顔で「空気圧下げておきましたから。」あ〜、なんていう気遣い。優しい心配り。有り難い、有り難い。

photoさて、予選だ。正味40分ほどの練習走行では、まだまだコースを理解したとは言い難い中での予選。うまくいくわけがないから、そんなには最初から期待はしていなかった。むしろ、練習走行の延長のような気分で予選に向かうつもりだった。

4コーナーがなかなかうまくいかない。どうしても、コースアウトしそうになる。そして、次の苦手はレインボーコーナー。バックストレッチに向かう大事なコーナーなのに、曲がりきれずに見事にコースアウトする。バックストレッチからレインボーコーナーに入る時も、ついついオーバースピードで入ってしまい、肝を冷やすことしばしば。バックストレッチがなんだか暗いせいだろうか。ブレーキングポイントの感覚がつかめないでいた。

予選のリザルトが出た。全30台中19位、AR150-6クラスでは、Tezzo Racers Clubの中村弥太郎さんに続いて3位だった。ベストラップは1’56”271、最高スピードは167.4キロと出ていた。ま、こんなもんでしょ。これといって特別な感慨を覚えることもなく、ただ、淡々と事実を受け止めた。また、中村弥太郎さんの後塵を排してしまったが、さりとて、それほど悔しいと思うこともなかった。

次の走行会では、太田さんの同乗走行があった。まず驚いたのが2コーナー。立ち上がり、あまりはらまない方が次の3コーナーの進入に向かいやすい、というアドバイスだったが、どうしてもはらんでしまう。太田さんは、スピードを落としていないにもかかわらず、インベタで通過。なんで〜??どうやったらこれできるの??次は僕の苦手とする4コーナー。太田さんがどうやって攻めるのか楽しみだったが・・・。え??ラインが全然違う。太田さんのラインでは、益々4コーナーが難しくなりそうだ。まったく、魔法をいくつも持ってるよね。

photo

走行会の残りの時間で太田さんのラインを練習することもできたが、1〜2周まわっただけで止めておいた。練習をしても、そこまで急に上達するとは思えないし、一方で、体力が心配だ。ここは、この辺で止めておいて、決勝までにじっくり休養を取ることが大事だと思い、パドックへと向かった。

さあ、いよいよ決勝だった。十分休養を取ったので、体力はばっちりだ。決勝出場のコースイン前に、太田さんから、タイヤをじっくり暖めるために、大回りでローリングするようにアドバイスされたので、フォーメーションラップ中は、コース幅いっぱいにローリング、ローリング。何が怖いって、タイヤが暖まっていない状態での一周目がやっぱり怖い。

フォーメーションラップを終了し、グリッドに並ぶ。赤シグナルが点灯、消灯、スタートだ。車はぐんぐん加速するも、斜め前にいたプジョーの方が速い。後からも追いつかれてしまう。そして、3コーナーがを過ぎたところだったか、数台前の車の後輪が滑り、車が横向きになった!その左後を走っていた車が避けきれず、バンパー同士がぶつかる!部品が散乱する。ひえ〜、目の前で事故見ちゃった。部品が散乱する。ブレーキを踏んで減速。部品を踏んでガタガタと揺れる。僕の心も揺れた。どこ走りゃいいの?なんて思っている間に3台に抜かれた!

我に返って追撃する。目の前は白い156。とにかくこいつに食らいつく。カーブではもう少しのところ、テールツーノーズになるのだけれど、直線で置いて行かれる。最終コーナーは、長い上り。少しずつ少しずつ差を開けられ、ホームストレートに入る頃には、スリップストリームに入れるような距離感ではなくなってしまっている。後で調べたら、この156、V6の2.5。僕のJTS2.0とは馬力が違う。でも、そんな事実を露とも知らず、コーナーで追いつけるのに直線で離される悔しさに地団駄を踏んでいた。

そんな折、シケインに入るところで猛烈なクラクション。え?サイドミラーを確認すると、先ほどクラッシュした車がバンパーの端っこをビラビラさせながら追いすがっており、僕がサイドミラーを確認しなかったが故に、彼がシケインで突っ込んで来ているのに気がつかなかったらしい。彼は、思わずコース外に出て僕とのクラッシュを避けてくれた。太田さんが、各コーナーでは必ずサイドミラーを確認するように、と、言っていたのに、前の車に追いつけない悔しさにそんなことをさっぱり忘れていた。

相手は155。コースアウトさせてしまったすまなさと、壊れたバンパーをヒラヒラさせて走る勢いに気圧され、これは抜いてもらった方がいいなと判断し、次のコーナーで道を譲った。と、その瞬間に、147にも抜かれた。うぉ〜!っと追いすがり、次のカーブで147をパス。155と156とが争う。2台に追いすがるGT。でも、抜けない。そのままの状態で3周回ったろうか。途中、ホームストレートで、「もう、いいよ〜、もう、お腹いっぱい。早くチェッカー振ってくれ〜。」と思った。体力十分だったはずだが、かなり疲れていた。

なんとか155にすがりつき、後の147を気にしながら、そのままの順位を保ってゴール。チェッカーが振られた。ほ〜っとため息。

パドックに帰り、後片付けをしながら、リザルトをチェックする。総合18位、クラス3位は予選と変わらず。ただ、ベストラップを見て驚いた。1’53”728。なんじゃ〜??ベストラップだけで並べると総合9位。おやおや。ベストラップは最終周に出ていたので、155を追いかけていたのが良かったのだろう。う〜む、前に誰かいないと速く走れないということかしら・・・。最高時速は170.3キロと出ていた。

自らのレースも終えた太田さんがTezzo Racers Clubを集合させ、ミーティングを開いた。太田さんは、いつにも増して満面の笑顔。

「良かった。僕は、今日、確信した。僕の教え方、間違ってなかったんだね。だって、みんな、速かったよね。3年前にTezzo Racers Clubを始めた時、 正直、こりゃ〜、どうなっちゃうのかな〜、って心配だったんだよね。でもね、座学をやったりしてみんなに勉強して考えてもらって、みんながだんだん速くなっていって、そしてみんな、きょうもマナーもよく速かったんだ。僕は、うれしい。みんなに引き出しが増えて、僕の言ってる言葉も理解できるようになって、そして速く走れるようになったんだよね。みんな、うまくなったよね〜。」

いろんな言葉を一気に吐き出して、心の底からのうれしさを表現していた太田さんが言った言葉はこの10倍か15倍以上の量だったと思うが、だいたいこんな趣旨だったと思う。関東の車より速かったという事実よりも、太田さんが喜んでくれていることが、僕にはうれしかった。だって、やっぱり、師匠だもの。これだけレースを速く、そして安全に楽しめるようになったのは、師匠のおかげ。その師匠が喜んでくれるのは嬉しいことだった。

こうして、2008年のシーズンは幕を下ろした。僕にとって、2008年は、春にいろいろと車をいじったこともあり、また、左足ブレーキから右足ブレーキに変えたこともあり、飛躍できた1年だったと思う。今まで太田さんに習ったことが十分に生かされ、太田さんの座学で学んだ摩擦円や加重移動の意味が本当にわかったような気がする。

太田さんに学んで3年。大きな3年だった。3年前の今頃は、僕がサーキットを走っているなんて想像もできなかった。「車を速くするのではなく、どうすれば速く走れるか、考えて、考えて、腕を磨いて速くなる。」という太田さんの教えをなるべく忠実に守って、車の改造は最小限にとどめて、速く走れる腕を磨いて来たからこそ、実感できる喜び。車が速くなったのではなく、自分が速くなったことを実感できる喜び。Tezzo Racers Clubにはそれがある。

僕は、プロレーサーじゃあない。だから、普段の仕事の給料からレース参加費を捻出しなければならない。経済環境が厳しくなり、2009年はマイナス成長。今までのバブルの絶頂期とは種類が異なる忙しさに翻弄される毎日。大変なこともあり、精神的にも、経済的にも、バブルの絶頂期とは違う状況だ。でも、そんな中だからこそ、「生きている」という瞬間が欲しいと思う。レースは、生きていることを実感できる。きっとレース中の僕の顔は、1年365日の他の日に見せている顔ときっと違う。

さあ、次のシーズンも一生懸命考えて、速くなることを考えて、実践して、生きていることを実感しよう!事故を起こさず、レースを楽しもう。こんな時だからこそ、打ち込むことがあっていい。そのために、GT君、優しく整備に出してあげるから、壊れずについてきておくれよ。

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